其(その)次(つぎ)は誰(たれ)じゃ　（第十九話）

私(わたくし)は田舎者(ゐなかもの)。姑(しうとめ)に憎(にく)まれて家出(いへで)いたし。尼(あま)にも

成(なら)ふ歟(か)。いっそ死(し)んでも仕廻(しま)ふかと。取(と)つ置(おい)つ。先(まづ)

占(うらなふ)て見(み)て下(くだ)さりませ。翁(おきな)算木(さんぎ)を投(なげ)て曰(いはく)。船(ふね)の

危(あやうき)を畏(おそ)れて水(みづ)に投(とうず)る者(もの)のごとし。甚惡(はなはだわる)い。今死(いましん)

では修羅(しゅら)道(どう)へまつ逆(さかさ)ま。たとへ尼(あま)になったりとて。

世(よ)を恨(うらみ)ての尼(あま)なれば。是(これ)もまた修羅(しゅら)の種(たね)。あゝ

若(わかい)は能(よい)がしどが無(な)い。尼(あま)に成(なる)にも及(およ)ばず。死(し)ぬるには

猶(なほ)及(およ)ばぬ。其方(そなた)の心(こゝろ)ひとつにて。つい丸(まる)うなる事(こと)

じゃ。是(これ)によう似(に)た咄(はなし)しがある仙(せん)壽(じゅ)村(むら)の花車(くわしゃ)

ばゞとて近郷(きんごう)名(な)うての姑(しうとめ)有(あ)り。年(とし)は七十(しちじふ)．齒(は)は

なけれど。嫁(よめ)を嚙事(かむこと)煎餅(せんべい)の如(ごと)くなれば。鬼(おに)ばゞ

とも異名(いめう)せり。とうく三人(さんにん)嚙出(かみだ)して。今(いま)の嫁(よめ)は

四人目(よにんめ)。是(これ)は甚(はなは)だ辛(しん)ばう強(つよ)い。利發(りはつ)なる女(をんな)なれども

夜晝(よるひる)となくふすべ立(たて)られ。餘(あま)りの苦(くる)しさ耐(たへ)かねて

今(いま)其元(そこもと)のいふ如(ごと)く。尼(あま)に成(なら)ふか死(しな)ふ歟(か)と。心(こゝろ)ひとつに

居(すゑ)かねて。隣(となり)の魚屋(うをや)に是(これ)を咄(はな)す。此(この)魚屋半(うをやはん)兵衛(べゑ)は

范蠡(はんれい)もどきの知恵者(ちゑしゃ)にてぐっと呑込(のみこ)み。姑(しうとめ)の

心(こゝろ)さへ和(やわら)がば。四(し)の五(ご)のは入(いる)まい。其(その)心(こゝろ)を和(やわらぐ)る事(こと)。某(それがし)が方寸(ほうすん)にあり。其元(そのもと)の姑(しうとめ)に限(かぎ)らぬ事(こと)。年寄(としより)の意地(いぢ)の

惡(わる)いは生(うま)れ付(つき)では無(な)いやまひじやと。去(さ)る御(お)いしゃの

御咄(おはな)し。此病(このやまひ)を治(なほ)す事(こと)。灸(きう)でも行(ゆか)ず。針(はり)でも届(とど)かぬ。

唯(ただ)一色(ひといろ)奇々妙々(きゝめうめう)の藥(くすり)喰(くひ)が有(ある)とて。傳授(でんじゅ)を受(うけ)て

覺(おぼえ)て居(ゐ)る。療治(りやうぢ)して見(み)る心(こゝろ)ならば藥(くすり)は己(おれ)が調合(てうがふ)

して煮焚(にたき)の加減(かげん)も傳授(でんじゅ)せん。一日(いちにち)に二三度宛(にさんどづゝ)飯(めし)の

とき用(もちゐ)てよし。我等醫者(われらいしゃ)にあらざれば藥(やく)代(だい)は現銀(げんきん)

賃苧紡(ちんそうむ)か。糸(いと)を績(つむぐ)か。其方(そなた)の手(て)から拵(こしらえ)て。銭(ぜん)持(もっ)て

取(とり)にござれ。扨又爰(さてまたこゝ)に大事(だいじ)が有(あ)る。此藥(このくすり)を用(もちゐ)るうち

病人(びやうにん)に少(すこし)にても。腹立(はらたて)させる事(こと)はならぬ。一寸(ちょっと)でも

氣(き)が立(た)てば。藥(くすり)反(かへっ)て毒(どく)となる。打(う)たれうが。擲(たゝかれう)が。杖(つえ)の下(した)から機嫌(きげん)を取(とり)。淋(さみ)しげに見(み)ゆる時(とき)は酒(さけ)にて用(もち)ゆるも

又(また)よしと。用(もちゐ)やうの秘(ひ)事(じ)口(く)傳(でん)言(いひ)含(ふくめ)て歸(かへ)しぬ。嫁(よめ)は

敎(をしえ)に随(したがひ)て。朝(あさ)は烏(からす)の先(さき)におき。夜(よ)の明(あく)る迄賃苧紡(までちんそう)み。

晝(ひる)も仕事(しごと)のすき間(ま)には。糸(いと)を績(つむ)ぎ。夜(よる)はひとり寝(ね)

殘(のこ)りて。夜半八(やなかや)ッ(っ)まで賃(ちん)仕事(しごと)。糸(いと)を績(つむ)ぎ賃苧紡(ちんそうみ)。

藥味(やくみ)を調(とゝの)へ二三度宛(にさんどづゝ)日毎(ひごと)日毎(ひごと)に用(もちゐ)けり。未(いま)だ二(ふた)廻(まは)りにも

盈(み)たざるに。其驗(そのしる)し。手(て)の裏(うら)を返(かへ)す如(ごと)く。日頃(ひごろ)手強(てごは)き

鬼者人(おにじゃひと)。我慢(がまん)の角(つの)をころりと落(おと)し。嫁子(よめご)を可愛(かあい)

がる而巳(のみ)ならず。忍辱(にんにく)柔和(にうわ)の佛(ほとけ)となり。今(いま)に佛(ほとけ)ばさま

とて達者(たっしゃ)で居(ゐ)るげな。是(これ)は魚屋(うをや)の方便(ほうべん)にて。旨(むま)き

さかなの料理(りやうり)して嫁(よめ)の力(りき)みを抜(ぬき)し故(ゆえ)なり。此方(こなた)に

力(りき)む心(こゝろ)なければ。先(さき)にも力(りき)む心(こゝろ)なし。たとへば捨(すて)小舟(をぶね)が

流(なが)れかゝり人(ひと)の舟(ふね)にあたりても。此方(こなた)が捨(すて)小舟(をぶね)なれば

先(さき)の舟(ふね)腹(はら)は立(たて)ぬ。先(さき)の舟(ふね)の怒(いか)らざるは。此方(こなた)の舟(ふね)に

心(こ ゝろ)無(な)れば也(なり)。舟(ふね)に心(こゝろ)有る(あ)が最期(さいご)。互(たがひ)に怒(いか)り罵(のゝし)りて

果(は)ては波風(なみかぜ)荒(あら)くなり。何處(どこ)へ舟(ふね)が着(つか)ふも知(し)れぬ。

我(われ)よきに人(ひと)の惡(あし)きは無(な)きものぞ。先(さき)の心(こゝろ)の和(やわら)がざる

は此方(こなた)に力みの有故也(あるゆゑなり)。力みを抜(ぬき)ても和(やわら)がずんば

力(りき)みの抜(ぬけ)ざる故(ゆゑ)と思(おも)ひ。又(また)力(りき)みを抜(ぬく)べし其上(そのうへ)にも

和(やわら)がざるは。いまだ力(りき)みの抜(ぬけ)ざる也(なり)。又(また)力(りき)みを抜(ぬく)べし。

まだ其上(そのうへ)にも和(やわら)がずんば。力(りき)みの抜(ぬき)やう足(た)らぬと

思(おも)ひ。又々(またまた)力(りき)みを抜(ぬく)べし。いつまでもく。さきの

心(こゝろ)の和(やわら)ぐまでは。此方(こなた)の心(こゝろ)の力(りき)みを抜(ぬ)け。笑顔(ゑがほ)は

打(う)たれぬ物(もの)ぞ

其(その)次ぎ(つぎ)は誰(たれ)じゃ　（第二十話）

私(わたし)は望(のぞみ)ある身(み)。何(いづ)れの神(かみ)。何(いづ)れの佛(ほとけ)に。立願(りうぐわん)掛(かけ)て

納受(のふじゅ)あらん御考(おんかんがへ)下(くだ)さるべし。翁(おきな)の曰(いはく)。心(こゝろ)だに誠(まこと)の

道(みち)にかなひなば祈らずとても神(かみ)やまもらん。

神(かみ)は守(まも)り通(どほ)しなり。祈(いの)れば守(まも)る。祈(いの)らずばまもらじと

神(かみ)に隔(へだつ)る心(こゝろ)はなし。人(ひと)の心(こゝろ)が神(かみ)を隔(へだつ)る誠(まこと)の道(みち)とは

正路也(しやうろなり)。其(その)眞(まっ)直(すぐ)なる道(みち)を行(ゆ)かず。道(みち)ならぬ道(みち)を行(ゆ)き。

無量(むりやう)のくるしみ其(その)身(み)をせむるは。皆(みな)己(おのれ)がなす災(わざわひ)なり。

何(いづ)れの神(かみ)に祈(いの)らんや。又(また)神(かみ)は正直(しやうぢき)の頭(かうべ)にやどると

聞(きゝ)て。唯(ただ)正直(しやうぢき)なる頭(かしら)を撰(えらみ)て宿(やど)るやうに思(おも)ふ人(ひと)あり。

不(しか)然(らず)。一面(いちめん)の神(しん)國(こく)なれば神(かみ)の宿(やど)り給(たま)はざる處(ところ)やある。

目(め)に見(み)。耳(みゝ)に聞(きゝ)。口(くち)に味(あぢはひ)を知(し)る迄(まで)も。神(かみ)の宿(やど)り給(たま)ふ

にあらずして誰(たそ)。但(たゞ)し人(ひと)の力(ちから)にて。見(み)たり聞(きゝ)

たり味(あぢはひ)を知(し)るとする歟(か)。其(その)神(かみ)を神(かみ)と知(し)らず。皺(しわ)くた

神(かみ)にするときは視(み)れども不(みえ)見(ず)。聴(きけ)ども不聞(きこえず)。食(くら)へ

ども其味(そのあぢはひ)を不知(しらざる)に至(いた)る。扨(さて)又昔(またむか)し。枇杷(びは)を嗜人(たしなむひと)有(あ)

り。其核(そのたね)の大(おほい)なるを愁(うれひ)て。淸(きよ)水(みづ)に詣(まふ)で枇杷(びは)の核(たね)を

なからしめ給(たま)へと觀(くわん)世音(ぜおん)に祈誓(きせい)す。是(これ)を聞(きく)もの

愚(おろか)かなりける人也(ひとなり)と笑(わら)ふ。枇杷(びは)の核(たね)の愚(おろか)なる事(こと)を

知(し)って笑(わら)ふ人(ひと)も己(おのれ)が日々(にちにち)の願(ねが)ひ。皆(みな)枇杷(びは)の核(たね)なる事(こと)

を知(し)らず。先今日(まづこんにち)の命(いのち)の知(し)らで。翌(あす)の事(こと)を願(ねが)ひ其(その)

身(み)を愼(つゝし)まで。災(わざわひ)の來(きた)らぬ様(やう)にと願(ねがひ)養生(やうじやう)はせずし

て無病(むびやう)を願(ねがひ)。顔(かほ)の媿(みにくさ)も恥(はぢ)ず。此戀(このこひ)かなへ給(たま)へなどゝ

祈(いの)る類(たぐひ)皆(みな)枇杷(びは)の核(たね)ならずや。朝(あさ)毎(ごと)に神(かみ)棚(たな)に向(むか)ひ

めったに顔(かほ)をしかめ咽(のど)をかすり。富貴(ふつき)繁盛(はんじやう)息災(そくさい)。

延命(ゑんめい)。家内(かない)安全(あんぜん)悪事(あくじ)災難(さいなん)。拂(はら)ひ給(たま)へ淸(きよ)め給(たま)へと

厄拂(やくばらひ)ほど云(い)ひ並(なら)べ祈(いの)るばかりが祈(いの)るにあらず。心(こゝろ)

だに誠(まこと)ならば。祈(いの)らずとても鶴(つる)は千歳(せんざい)。龜(かめ)は萬(まん)年(ねん)

枇杷(びは)は枇杷(びは)の味(あぢは)ひ。梅(うめ)は梅(うめ)の味(あぢは)。山葵(わさび)は鼻(はな)を弾(はじ)き。

山椒(さんせう)はひりつく。萬物(ばんもつ)一(ひとつ)つとして神(かみ)の宿(やど)り給(たま)はざる

はなし。中(なか)にも人(ひと)は萬物(ばんもつ)の霊(れい)といふ。山葵(わさび)の鼻(はな)を

はじき。山椒(さんせう)のひりつくに恥(はぢ)て。私心(しゝん)私欲(しよく)をはらひ

たまへ淸(きよ)めたまへ

神(しん)詠(えい)に皆人(みなひと)の直(なは)き心(こゝろ)ぞ其(その)まゝの神(かみ)

にて神(かみ)の神(かみ)なり

又(また)問(とふ)。安産(あんざん)あり。難産(なんざん)あり。此考(このかんがへ)如何(いかん)。翁曰(おきなのいはく)。人(ひと)の人(ひと)を

産(うむ)を見(み)て。人(ひと)との人(ひと)とを産(う)むを見(み)る。人(ひと)の人(ひと)を産(うむ)は。人(ひと)の

人(ひと)を産(うむ)に非(あら)ず。何(な)んぞ人(ひと)の力(ちから)にて。人(ひと)の人(ひと)を産事(うむこと)を

得ん(えん)や。止(や)む事(こと)を得(え)ずして云(い)はゞ。人(ひと)に因(よっ)て人(ひと)の

産(うま)るゝならん。客間曰(きゃくとふていはく)。是(これ)は其(その)神(かみ)の告子(もをしご)。彼(かれ)は此佛(このほとけ)の

告子(もをしご)など。昔(むか)しより云傳(いひつた)ふ。如(かくの)此事(ごときこと)も有(あり)や。否(いな)や。

翁答曰(おきなこたへいはく)。天下(てんか)皆(みな)。告子也(まをしごなり)。何(なん)んぞ。彼(か)れ此而巳(これのみ)ならん。

禽獣(きんぢう)蟲魚(ぢうぎょ)草木(さうもく)の出生(しゅっしやう)する。一(ひと)ッ(っ)も告(まをし)子(ご)にあらざるは

なし。又(また)問(とふ)。告子(まをしご)ならば人力(じんりょく)を盡(つく)さずしても。懐妊(くわいにん)

するや、曰(いはく)否(いな)。只(たゞ)居(ゐ)ては懐妊(くわいにん)せず。其(その)人力(じんりき)本と告子(まをしご)

なる事(こと)を知(し)って。告子(まをしご)の悟(さとり)開(ひらく)べし。譬(たと)へば田地(でんぢ)と種(たね)は

告子也(まをしごなり)。耕(たがへす)と種(たね)播(まく)は人力(じんりょく)なり。人力(じんりょく)と告子(まをしご)と合躰(がったい)

して五穀(ごゝく)稔(みの)る。是即告子也(これすなはちまをしごなり)。又(また)問(とふ)。告子(まをしご)なれば

難産(なんざん)は有(ある)まじきに。難産(なんざん)の間々(まゝ)あるは如何(いかん)。答(こたふ)。是(これ)

皆(みな)人力(じんりょく)の過(すぐ)る故(ゆゑ)なり。禽獣(きんぢう)蟲魚(ぢうぎょ)に難産(なんざん)を聞(き)かず。

可耻(はづべし)く。扨(さて)人力(じんりょく)にまぎれ物(もの)あり。公(おほやけ)の人力(じんりょく)あり。

私(わたくし)の人力(じんりょく)あり。此處(このところ)見分(みわけ)がたし。工夫(くふう)をめぐらし

用(もち)ゆべし

其(その)次(つぎ)は誰(たれ)じゃ　（第二十一話）

拙者(せっしゃ)朋友(ほうゆう)此(この)頃(ごろ)金(かね)の出入(でいり)にて。晝(ちう)夜(や)心(こゝろ)を苦(くる)しめ候(さふらふ)。

此(この)義(ぎ)に付(つい)て御占頼(おうらなひたのみ)たし翁(おきな)の曰(いはく)。銭(ぜに)かねばかりを

寳(たから)と思(おも)ひ。其寳(そのたから)に縛(しばら)れて命(いのち)を縮(しゞむ)る人多(ひとおほ)し。

命(いのち)を縮(しゞむ)ろ寳(たから)らならば。寳(たから)なきこそましならめ。眞(まこと)の

寳(たから)といふ物は人々(ひとびと)所持(しょぢ)する。性根(しやうね)玉(たま)なり。此(この)玉(たま)を

寳(たから)と知(し)らざる人々(ひとびと)は。己(おのれ)が勝手(かって)の惡(あし)き事(こと)には。此(この)玉(たま)

に瑕(きず)を付(つけ)。而(しか)も其(その)瑕(きず)をきずと知(し)らず。銭(ぜに)金(かね)に

目(め)がくれては。玉(たま)の光(ひかり)を失(うしな)ふに至(いた)る。玉(たま)不磨光(みがゝざればひかり)なし。

日々(ひゞ)に磨(みが)き。又(また)日々(ひゞ)に磨(みが)き。明徳(めいとく)を研出(とぎだ)すべし。

古語曰(こゞにいはく)。不寳金玉而(きんぎょくをたからとせずして)。忠信以爲寳(ちうしんもってたからとす)。又曰(またいはく)。爾以玉爲寳(なんぢはたまをもってたからとす)。我以不貧(われはむさぼらざるをもって)。爲寳(たからとす)

次(つぎ)は誰(たれ)じゃ (第二十二話)

弟(おとおと)の義(ぎ)に付(つい)て御占頼(おうらなひたのみ)たし。翁(おきな)の曰(いはく)。御舎弟(ごしゃてい)が

何(なん)とめされた。拙者(せっしゃ)弟(おとおと)別家(べっけ)いたして七年餘(しちねんあまり)

是迄(これまで)度々(たびたび)世話(せわ)いたし遣(つかは)せども。兎角(とかく)渡世(とせい)に

不精(ふせい)にて此(この)際(きは)もまた不詰(ふづま)り。其(その)上(うへ)拙者(せっしゃ)が異見(いけん)を

不用(もちゐず)。兄(あに)を兄(あに)とも思(おも)はぬ不所存(ふしょぞん)。義絶(ぎぜつ)いたす心(こゝろ)にて

　その次は、誰じゃ。（第十九話）

（姑との折り合いが面白くなく家出した若い嫁が先生を訪ねる）

「はい、私は田舎者でございます。姑に憎まれ家出してきました。尼さんになろうか、死んだほうがいいのかと迷うております」

「船が危ないと恐れて、水に身を投げるの譬えじゃ。尼になったとて、世を恨んでの尼なら修羅の理というもの。まして、死んでしまえば修羅道へまっさかささまじゃ。尼になるには及ぶまい。といって、死ぬのはなお及ばぬというものじゃ。心ひとつで、つい丸うなる。ここによく似た話がある。仙寿村の花車婆というてな、そりゃ近郷近在でも有名な姑がいた。年は七十、歯はないけれど、嫁をかじること煎餅(せんべい)の如しというほどで、鬼婆というあだ名がついておった。とうとう三人かじり出して、今の嫁は四人目じゃ。この嫁は、とって

も辛抱強い利口な女だが、夜昼となくこき使われては、余りの苦しさに絶えかねてじゃ、その方のいう通り尼になろうか、死のうかと悩んでおった。お隣の魚屋に、相談したのじゃ。魚屋の半兵衛は、なかなかの知恵達者(たっしゃ)。嫁の話をぐっと呑みこんで、『どうじゃな、姑の心さえ柔らけば、四の五のというまい。その心を和らげることじゃ。そこもとの姑に限らぬ。年寄りの意地の悪いのは、生まれつきと違うて、病というもの。さる所に名医があった。この病気を治すには灸でもなく鍼(はり)でもない。ただ一色だけ奇妙な薬がある。その薬の伝授をうけておる。治療してみる心ありや。調合してやろうか。こ

の薬を用いるうちは、決して病人に腹を立てさせちゃいかん。ちょっとでも、気を立てさせたら、この薬は毒に変わる。どんなに打たれようが、叩かれようが機嫌を取ること。寂しそうに見える時は、お酒でも召し上がればと気を遣うこと。まだまだ秘伝は沢山あるが、またこの次教えようと言って薬をくれた。お話のように姑の心を和らげるように努めた。朝は鳥の鳴かぬ先に起き、夜は遅うまで糸を紡いで、その薬が毒に変わらぬように仕事に励んだ。ところが四，五日たち、七日、十日とたつうちに婆さんも優しくなってきおった』という半兵衛の話。さあ、それからじゃこの嫁は、とてもようやった。鬼婆の心を和らげるように気を遣い、励みに励んだのじゃ。そうこうするうちに、さきの半兵衛の話じゃないが、この嫁はいい嫁だと思うようになった。そしてだんだん可愛がるように変わったのじゃ。とうとう鬼婆の心の柔和な仏心と変わり仏婆さんといわれるようになった。それで今も達者でおるげな。

　心ひとつで丸うなる。笑顔で努めるのじゃ。笑顔では打たれもすまい。早う帰って姑に心から尽くすのじゃ」

　その次は、誰じゃ。（第二十話）

（望みをかなえてくれる神や仏はないものかと、先生を訪ねる）

「はい私は将来に望みある身でございますが、さてどこかの神様、または仏様に願をかけたいのですが、どこがいいでしょうか」

「心に誠があればいいのじゃ。誠の道にかなっていれば、祈らんでも神や仏は守ってくれておる。お祈りしたから守る、祈らないから守れんというように神には隔てる心はないもんじゃ。人の心が、神を隔てておるのじゃ。誠の道という正しい道がある。その道をまっすぐに行かず、道ならぬ道を行くから無量の苦しみが、その身を苦しめるのじゃ。これも自分で招いた災いというもの。神は正直の頭に宿ると聞いておるが、その通りじゃ。正直な人の頭を選んで宿るように思う

人があるようじゃが、そうではないぞ。目で見たり、耳で聞いたり、味を知ることまで神は宿っておられるのじゃ。神の宿っておられることも知らず、侮(あなど)ったり不信に思う時は、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味が分からんものだ。昔、枇杷(びわ)を食べた人が、その種が大きいのを愁(うれ)いて清水(きよみず)に詣で『枇杷の種をなからしめ給え』と観世音に祈願したそうじゃ。これを聞いた人は、馬鹿なやつじゃと笑った。人間の日々の願いも、みんなその通り、枇杷の種と同然のこと。枇杷の種であることを知らないで、今日の命で明日のことを願ったり、わが身を慎まないで災いのこないように願ったり、養生しないで、無病を願ったり、顔の醜いのを恥じずに、この恋をかなえ給えと祈ったりしておる。

　これらは、みんな枇杷の種といっしょじゃ。朝ごとに神棚に向かって、顔をしかめ、喉をかすり『富貴繁盛、家内安全、悪事災難を払い給え、清め給え』と言い並べて、祈るばかりが祈りではないぞ。心に誠さえあれば、祈らんでも鶴は千年、亀は万年、枇杷は枇杷の味、梅は梅の味、ワサビはワサビ、山椒は山椒じゃ。万物それぞれ神は宿っておるのじゃ。まして、人間は万物の霊長という。私心、私物を払い給え、清め給えじゃ」

　その次は、誰じゃ。（第二十一話）

（金銭のことで悩む友人を見て、どのように励ましたらよいかと先生を訪ねる）

「はい、友人が、このごろ金の出入りについて、昼夜となく悩んでいますが、どのように言ってやればよいかと困っています」

「銭、金ばかりを宝と思い、その宝に縛られて、命を縮める人が多いのう。命を縮める宝なら、宝のない方がましじゃろう。真の宝というものは、そんなもんじゃない。それは、人が持っている性根玉じゃ。性根玉こそ、真の宝じゃ。自分の

勝手や都合が悪いときには、この性根玉に疵(きず)をつけ、その疵を疵と知らずに、銭、金に目がいっておる。そういう時に性根玉も光を失ってしまうのじゃ。玉磨かざれば光なしとはこのこと。性根玉こそ、日々に磨き、また次の日も磨かなあかんぞ。古語のいう『金玉(きんぎょく)を宝とせず、忠信を以て宝となす。汝、玉を以って宝となす。我は貪らざるを以って宝となす』。欲しがって飽くことを知らず。何でも欲ばかりに目がくらむでないぞ。性根玉こそ私心を去って磨くのじゃ」

　その次は、誰じゃ。（第二十二話）

（弟の世話に困り抜いて、どうしたらよいものかと先生を訪ねる）

「はい、厄介者の弟に、ほとく手をやいておりますが、どのようにすればよろしいか、教えて頂きたいのです」

－以下、次回－