賣卜先生糠俵・前編第8回(読み下し文、現代語訳)
第二十二話~跋
2010年4月12日寄稿の第十九話~第二十一話に続いて、第二十二話~跋を寄稿します)
飯塚修三
2010.07.06
 第4回から、読み下し文と現代語訳、及び、現代語訳に付いている挿絵のみの掲載になっています。原文及び原著挿絵の写真版はファイル容量の関係で省略させて頂きます。申し訳ありません-編集者。 

 (現代語訳だけをお読みいただく場合はここをクリックしてください)

(つぎ)(たれ)じゃ (第二十二話)

(おとおと)()(つい)御占頼(おうらなひたのみ)たし。(おきな)(いはく)御舎弟(ごしゃてい)

(なん)とめされた。拙者(せっしゃ)(おとおと)別家(べっけ)いたして七年餘(しちねんあまり)

是迄(これまで)度々(たびたび)世話(せわ)いたし(つかは)せども兎角(とかく)渡世(とせい)

不精(ふせい)にて(この)(きは)もまた不詰(ふづま)(その)(うへ)拙者(せっしゃ)異見(いけん)

不用(もちゐず)(あに)(あに)とも(おも)はぬ不所存(ふしょぞん)義絶(ぎぜつ)いたす(こゝろ)にて

(みな)まで()かずこれ兄貴(あにき)君臣(くんしん)夫婦(ふうふ)朋友(ほうゆう)(あいだ)

こそ。義絶(ぎぜつ)といふ(こと)あれ。親子(おやこ)兄弟(きやうだい)(なか)義絶(ぎぜつ)

といふは何事(なにごと)じゃと。()(がく)(しゃ)(しか)られた(ゆび)

きたなきとて(きっ)(すて)()。まづ其元(そのもと)心底(しんてい)に。(おとおと)

(わが)(おとおと)(おも)(ゆゑ)(あに)(あに)(おも)はぬなどゝ(やせ)(ひぢ)(はり)りたがる

(おとおと)(なん)じゃ。(おや)不便(ふびん)(おぼし)()()無歟(ないか)(あと)から出生(しゅっしやう)

したる()(さき)(うま)れたる()跡先(あとさき)(ちが)ひはあれど(みな)

(おや)()にちがいは()(われ)(おや)子也(こなり)(おとおと)(おや)子也(こなり)

(おや)(ところ)()(つけ)て。(おや)(こゝろ)世話(せわ)をせば。世話(せわ)世話(せわ)

(なる)まじきぞ。(さて)(また)世話(せわ)にも仕様(しやう)あらん。横町(よこてう)(なんに)兵衛(びやうゑ)

三百目(さんびゃくめ)のかねに(つま)(くび)(つり)(しん)だと()けば()

()らぬも(ざん)(ねん)がり。三百目(さんびゃくめ)(ぐらゐ)(こと)ならば(おれ)()

て。(おれ)(きい)たら()なせはせまいにと。()ひもし。(おも)ひも

すれど。びち(いき)()(うち)に。三百目(さんびゃくめ)なければ

(こん)夜中(やぢう)首縊(くびくゝっ)(しに)ますと。()(なみだ)でいふたり

とも。(はぢ)しめたり異見(いけん)せうづれ。銀子(かね)()(ひと)

(まれ)ならん。其元(そこもと)御舎弟(ごしゃてい)世話被召(せわめさるゝ)ならば。(かならず)

(あと)へんにならぬ(やう)に。(こゝろ)(つけ)世話(せわ)めされ。度々(たびたび)

世話(せわ)をいたしたと()るゝから世話(せわ)()やうが

(しはい)()えた。これ御腹(おはら)(たて)られな。()(なか)

(ひと)世話(せわ)をするか。(ひと)世話(せわ)成歟(なるか)(ふた)ッにひとつの

ものじゃ。其元(そこもと)不如意(ふにょい)なら。舎弟(しゃてい)(かた)から世話(せわ)

する。(おな)(こと)なら(ひと)世話(せわ)をするかたが(まし)なれ

(ども)(みな)左様(さやう)には(おも)はぬものじゃ。舊蠟(きうろう)()(いへ)(あるじ)

なが(やまひ)困窮(こんきう)し。朝夕(あさゆふ)(けふり)絶間(たえま)がちなるを

()(たへ)ず。(べい)(せん)(しやう)(しやう)(おく)(ひと)あり。其病家(そのびやうか)(よろこ)(てい)

(あたか)死人(しにん)(よみがへり)(ごと)親子(おやこ)四人(よにん)(いのち)をつなぐ。(これ)

(てん)賜也(たまものなり)と。ありがた(なみだ)(なが)して(よろこ)び。(まこと)(てん)

賜也(たまものなり)(よろこ)(てい)()(ある)べし。(また)(その)(ほどこ)(ひと)は。(てん)(たまもの)にて

(つね)安樂(あんらく)(くら)(その)(たまもの)(あまり)(もっ)困窮(こんきう)なる(ひと)

(ほどこ)す。(この)(よろこび)如何(いかゞ)ぞや。(わづか)十日歟(とをかゝ)廿日歟(はつかゝ)の。(いのち)をつなぐ(べい)(せん)(もら)ひ。(なみだ)(なが)して有難(ありがた)がり(よろこ)(ひと)にくらべ

ては。百倍(ひゃくばい)千倍(せんばい)(よろこ)べき(はづ)なれど。此所(このところ)()らばるは

彼所(かのところ)()らざる(ゆゑ)なり。()(たま)()(たま)

(その)(つぎ)(たれ)じゃ (第二十三話)

夜前(やぜん)朋友(ほうゆう)諍事(あらそふこと)あり。化物(ばけもの)()(もの)か。()(もの)

御考給(おんかんがへたま)はるべし。翁曰(おきなのいはく)聖人(せいじん)不語怪力亂(くわいりょくらんしんの)(かたらず)小人(しやうじん)

怪力亂(くわいりょく)(らんしん)(きゝ)きたがる。さらば(ばけ)もの(はな)しを(はじ)めん

往昔(むかし)往昔(むかし)長押(なげし)(かけ)(ゆみ)(へび)(ばけ)て。(きゃく)(なやま)せし(こと)

もあり。(くさっ)茄子(なすび)(ひき)()て。(ひと)にとり(つき)(はなし)

あり。又爰(またこゝ)に。(ある)豪家(ごうか)何某(なにがし)妻女(さいじょ)(やまひ)臥事(ふすこと)半年(はんねん)

(あま)り。労瘵(ろうさい)といふ(やまひ)にや。諸醫手(しょいて)(つく)せども(しるし)なく。

元氣(もとき)次第(しだい)(おとろ)(かん)病人(びょうにん)(おほ)(なか)に。(まさ)といふこし

もとあり。(ちう)夜病婦(やびやうふ)(そば)不去(さらず)介抱(かいほふ)また(たぐ)ひなし。

飮食(いんしょく)起臥(きぐわ)二便(にべん)(たす)(まさ)なくしては不調(とゝのはず)病婦(びやうふ)將死(まさにしなん)

とき。其夫(そのおっと)(むかひ)(いはく)我永々(われながなが)病床(びやうしやう)()とても(およ)

まじき(まさ)介抱(かいほう)(ねがは)くは(せう)形見(かたみ)思召(おぼしめ)され不便(ふびん)

(くわ)(たま)はれかしと云遺(いひおき)命終(めいをはり)ぬ。(かく)ありて(みっ)

日目(かめ)より。(こしもと)政病(まさやまひ)(ふす)其症(そのせう)()病婦(びやうふ)(ほゞ)

()たり。醫師(いし)勿論(もちろん)諸寺(しょじ)諸山(しょざん)祈願(きぐあん)(のこ)るかたなし

といへども定業(じやうごう)にや。(いま)(たのみ)すくなく()ゆ。(まさ)父方(てゝかた)

伯父(をぢ)あり。(とふらひ)(いはく)(なんぢ)養生(やうじやう)()(あま)れり。難治(ぢしがたき)

天命也(てんめいなり)(あり)がたく臨終(りんじう)せよ。()(のぞみ)あらば云置(いひおく)べし。

(まさ)(いはく)仰如(おほせのごとく)(あり)がたき御介抱(ごかいほう)(なん)不足(ふそく)(あり)てか(のぞみ)あらん。

(さり)ながら。(たゞ)ひとつ(まよ)ひの(とけ)ざる(こと)のあり。(しゅ)人身(じんみ)

まかり(たま)ひて(のち)三ヶ日目(みっかめ)()(うら)(いで)に。(さき)だち(たま)

御主人千(ごしゅじんせん)(ざい)立給(たちたま)ひ。物憂(ものう)(われ)(まね)(これ)

()るより(みの)()(たち)(ふるひ)(つき)(やまひ)(もと)()(よる)また

(うら)(いづ)れば(また)(まへ)()(ごと)(われ)(まね)其後(そのゝち)(ゆめ)とも

(おぼ)えず。(うつゝ)ともなく。(たゞ)(まぼろし)()(たま)ふ。其恐(そのおそ)ろし(たへ)

がたし。かく(なやま)(たま)ふのは(なん)(うらみ)(ある)やらん。(これ)にみ(こゝろ)

かゝるなり。伯父(をぢ)(とふ)(いはく)(その)幽霊(ゆうれい)ものは(なに)()はざり

しか。(まさ)(いはく)唯我(たゞわれ)をまねくにみ。(また)(とふ)衣服(いふく)(なに)

着給(きたま)ひしぞ。曰病中(いはくびやうちう)()まきの(まゝ)(まがき)(きく)

小袖(こそで)なり。伯父(をぢ)(いはく)(なんじ)(やまひ)本腹(ぼんぷく)せん。(わが)をしへに

(したが)ふべし。今宵(こよひ)(また)(うら)出よ(なほ)(さき)のごとく幽霊在(ゆうれいあら)

ば。()()(そば)()(なん)(うらみ)にかく(なやま)(たま)ふぞ。

()へ。()不答(こたへずば)(われ)()(とも)(ゆき)(じっ)()

(たゞ)さん政教(まさをしへ)にしたがひ。病苦(びやうく)(しの)(うら)(いで)千裁(せんざい)

()れば(れい)のごとく(かみ)うつさばき。(まがき)(きく)小袖(こそで)()て。

(うら)めしげに立給(たちたま)ふ。絶入(たえいる)ばかりの(こは)(しの)び。(おも)(きっ)

歩行(あゆみ)()り。よく()れば幽霊(ゆうれい)ならず(この)頃植(ごろうゑ)

山茶花也(つばきなり)(かみ)()えしは(うしろ)(やなぎ)(まねく)()えしは

(こゝ)(えだ)小袖(こそで)模様(もやう)(この)枯枝(かれえ)(さて)(こゝろ)(まよ)ひなりと。

(まよ)()(こゝろ)()(たちま)(やまひ)平癒(へいゆ)して。(いま)

存命(ぞんめい)なるよし(きく)(これ)しきの化物(ばけもの)へ。正躰(しやうたい)見届(みと ゞけ)

ざれば。病不癒(やまひいえず)扨亦爰(さてまたこゝ)(ふで)()(ばか)(くち)

さきで(ばか)化物(ばけもの)あり。我等(われら)化物(ばけもの)仲間(なかま)なり。(あるひ)

君子(くんし)(ばけ)()小人(しやうじん)もあり。(ころも)()()(おに)

あり。長者(ちやうじゃ)(ばけ)()る。すかん(ぴん)もあり。此類(このるゐ)(また)

()(あま)()なれども。正躰(しやうたい)()透恐(すきおそ)るゝに()らず(さて)

(また)一種(いっしゅ)正躰(しやうたい)()えざる(おそ)ろしき化物(ばけもの)あり。(はる)

(やま)(はな)(さか)して()せたり(ふゆ)(みず)(こほり)

して()せたり。()(むし)(ちやう)(ばけ)(ばな)(たはふ)(たまご)

(にはとり)(ばか)(とき)(つぐ)る。振袖(ふりそで)()可愛(かあい)らしき

小娘(こむすめ)が。いつの()のやら。(こし)(かゞ)んだ(ばゞ)(ばけ)

奇麗(きれい)若衆(わかしゅ)が。(ゆめ)()白髪(しらが)(はえ)親父(おやぢ)(ばけ)

今朝迄物(けさまでもの)いふた化物(ばけもの)が。(たちま)()なって仕舞(しまふ)たり。

きのふまでなかった(もの)が。何所(どこ)からやらぬっと() 

(こゑ)()げたり無量無邊(むりやうむへん)化物(ばけもの)だらけ(この)化物(ばけもの)

正躰(しやうたい)見届(みとゞけ)ざれば。()(もの)(きく)ものに()かされて。(まよ)ひを

(かさ)ぬ。さあればとて此正躰(このしやうたい)容易(やうい)()らるべき

(もの)(あら)ず。(たまさか)には此正躰(このしやうたい)見届(みとゞけ)(おも)(ひと)あり。

(これ)(また)化物(ばけもの)なり。見届(みとゞけ)たと(おも)()(ひか)(まこと)

(この)化物(ばけもの)正躰(しやうたい)()(ぬか)んと(おも)はゞ(まづ)自身(じゝん)()(ぬく)

べし。(この)自身(じゝん)また見易(みやす)からず(なぐさみ)半分(はんぶん)(がく)(もん)

鼻歌(はなうた)交り修行(しゅぎやう)にては。(なか)正躰處(しやうたいどころ)でなし。

足跡(あしあと)()るべからず。晝夜間斷(ちうやかんだん)なく(こゝろ)(つく)(つき)

(かさ)(とし)をかさねば豁然(くわつぜん)として貫通(くわんつう)するに

至らん()孟子曰(まうしいはく)(その)(こゝろを)心者(つくするものは)(その)(せいを)性也(しる)()(そのせいを)性則(しるときはすなはち)知天矣(てんをしる)

 

 

 

(ばつ)

(いた)れる(かな)賣卜先生(ばいぼくせんせい)(こと)(ちか)ふして

(もっとも)卑俗(ひぞく)風諭(ふうゆ)(ちょう)ぜり(これ)所謂(いはゆる)

(その)(ぜん)(むね)(とを)きものか翁卜(おきなぼく)(ひさぐ)

(その)(こう)いやしけれども(ひと)(もっ)って

(ことば)(すて)ざるは先哲(せんてつ)のいましめ

(せき)()()(ほう)不衣(ふゑ)(にん)とかや()けり

われ其人(そのひと)()らずといへどもつ

(おも)ふに(ぼく)(をう)(がく)精一(せいいつ)(きょ)(きう)

()るもんにあらずばいかで(この)(ぬか)

(はき)(あつむ)(こと)()()のひと(この)(たはら)

ひらきて。小袋(こぶくろ)()持去(もちさっ)朝夕(あさゆふ)

身心(しんじん)(あか)(あら)きよめかしとたのまぬ

世話(せわ)をさし()(かみ)御託宣(ごたくせん)(まも)るべ(まも)るべし

 

           ()(あん)

 
baibokusensei22/23/atogaki
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現代語訳第二十二話~あとがき、挿絵は父・重三

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 その次は、誰じゃ。(第二十二話)

(弟の世話に困り抜いて、どうしたらよいものかと先生を訪ねる)

「はい、厄介者の弟に、ほと手をやいておりますが、どのようにすればよろしいか、教えて頂きたいのです」

「なるほど、実は私も弟と別家して七年余りになる。これまでたびたび世話をしてやったが、怠け者で世渡りも難しく、ごく最近もまた不詰りのようじゃ。その上、私の意見をいっこうに聞かん。兄を兄とも思わんような不心得者でな。『兄の意見が素直に聞かれなければ義絶するまでじゃ』と言いかけると、『これ兄貴。君臣、夫婦、盟友の間には義絶もあろう。血の繋がる、血を分けた親子兄弟に義絶なんんかできる


もんか』と言って、くってかかる始末じゃった。

 そこで、こんな話がある。昔、次のように言う学者がおった。『お前さんは、指が汚いといって、その指を切って捨てるか。まず、お前さんの弟を自分の弟と心底に思うから、兄を兄と思わんなどと、やせ肘を張りたがる。

 弟とは何じゃ。弟も親の不憫に思し召す子ではないか。親

から見れば後から生まれたか、先に生まれたか、後の違いはあるけれど、可愛い子に違いはない。自分も親の子。弟も同じ親の子じゃないか。親のように気を付けて、親の心で世話をすれば、世話も苦にはなるまい』

さて、その世話にも仕様がある。横町の何兵衛が三百目の金につまり首吊りで死んだと聞いたとすりゃどうだ。こんな話を聞くと残念がって、『わずか三百目ぐらいのことなら、自分に言うてくれりゃ、死なせはしなかっただろうに』と言うだろう。その通りじゃ。そう思うものじゃ。誰しもそう言うだろう。

 ところがピチピチ生きている時に『三百目の金がないので、今夜中に首を吊って死にます』と血の涙で、恥をこらえて言ってみろ。どうする。『三百目の金に困っているなら貸してやろう』と言って誰が貸すだろう。貸すどころか意見をしたり、馬鹿なやつだと笑うだろう。世間はみんなそんなもんじゃよ。

 お前さんも、弟の世話を十分気を付けてやるがいい。ほと手をやいていると言われるが世話をするのがケチくさいように思われるがどうじゃ。お前さんも、ちとばかりケチじゃないか。これ、そう言われて腹を立てるようじゃあかんわい。

 世の中というものは人の世話をするか、人の世話になるか、

二つに一つのものじゃ。お前さんの方が不如意なら、弟のほうから世話をする。世話をされる方より、世話をする方がましじゃ。おなじことなら、世話をする方になるがいい。

 年末のことじゃ、ある家の主人,ながの病に困窮し、朝夕の煙も絶えがちじゃった。これを見かねて気心のある人が、米銭を少々贈ってあげた。ところが受けた病家の人たちの喜びは、例えようもなく親子四人の命を繋ぐ天の賜物と、ありがた涙にむせんだという。施す人も、天の賜物のお陰で安楽に暮らしているのじゃ。その賜物の余りをもって、困っている人に施している。

 わずか、十日か二十日の命を繋ぐ米銭をもらってもこの通り涙を流してありがたがっておる。こんなに喜ぶ人に比べて、百倍、千倍喜んでもいい人が、なか喜んではおらぬ。どうじゃな。弟にも、まだまだ尽くし方が足りんわい。

 

 その次は、誰じゃ。(第二十三話)

(化け物とは何かと、友人と口論したがわけが分からない、とうとう先生を訪ねる)

「はい、化け物がいるかいないかと友人と争うております。どちらが正しいでしょうか」

「聖人は、怪力乱神を語らずじゃ。

 昔、長押(なげし)に掛けた弓が蛇に化けて客を驚かしたという。腐

った茄子(なすび)が、蝦蟇(がま)に化けて人に取り付いたという話もある。

 ある富豪何某の妻女が病気で患うこと半年余り。名医も手を尽くしたけれど、そのしるしもなく、元気も次第に失せてゆく。看病人も多いがその中に小政という女中がいた。昼夜病人の枕元を離れず、介抱していたが、飲食起臥すべて小政なくてはかなわぬという程になった。臨終にあたって、夫に向かい『小政の介抱は子とても及ばぬもの、心からありがたく思っています。どうぞ私の形見と思し召し可愛がってやってください』と、息も絶え絶えに言うなり他界してしまった。お葬式もやっと終わると、今度は小政も病魔の侵すところとなり病床の身となった。医師は勿論、諸寺諸山のご祈祷やご祈願をはじめるが、どうにもならん。病状は日増しに悪化す

るばかり。小政の父方にあたる伯父が見舞いにやって来て、『こんなに大事にしてもらってありがたいことじゃないか、治し難しは天命か。もし、何か望みでもあれば申してみよ』というと、小政は『手厚い介抱に何の不足や不満ございましょうか。ただ一つ、不思議なことがございます。どうもこの迷いが解けません。奥様が死なれた夜、裏に出てみると、庭に物欲しげに立っておられ、私を招かれました、私は身の毛立ち、ふるいついたのが病の本でした。次の夜も裏に出ると、前の晩のように私を招かれます。渡した夢ともうつつもなく、ただ、幻となり奥様の姿が映るのです。その恐ろしさ、どうして、何の恨みがあってこのようなことになるのでしょうか』 『その幽霊は何かおっしゃてましたが』『何もいわれません。ただ、私を招かれるだけでした』『衣服は、どんなものを着ておられましたか』『病中と同じ寝巻きのままでした。まがきに菊の小袖でした』伯父はしばらく考え込んでいたが『もう一度、今夜裏庭へ行ってみなさい。もし、前にように出て招かれたら、おそばへ行って、何の恨みでこのように悩ませられるかきくがいい。お返事が無かったら私を呼べ。いっしょに行ってみよう。』

 小政は病苦をしのんで裏庭へ出ると、髪もバサバサ乱し,まがきに菊の小袖を着て、うらめしそうに立っている。恐ろしさをこらえ歩み寄って、静かに見ると、人でもなく幽霊で

もなく山茶花(さざんか)の木であった。髪に見えたのは、後ろの柳。招くと見えたのは柳の枝であった。小袖の模様はその枯れ葉であった。迷いが晴れると心も晴れる。あれほど心配された病気も全快して今は元気になったそうじゃ。

さて、化け物もそんなもんじゃ。考えてみりゃ、人間様だって化け物仲間みたいなもんじゃ。君子に化けている小人もあれば、(ころも)着ている鬼だっている。長者に化けている素寒貧(すかんぴん)さえいるこの世の中じゃ。

 化け物の正体を見極めることが肝心じゃ。             

 

 

 

 

  手島堵庵 跋(略)

 飯島修三 あとがき
 

二〇〇七年夏より「賣卜先生糠俵」の読み下し文、父の現代語訳文のコンピューターへの打ち込み作業を始めた。仕事の合間のぬっての作業だったので、かなりの時間を要した。

問題なのは校正作業だが、何度見直しても落ちこぼれがでてしまう。お気づきの方は「いいづか眼科」にお知らせいただければ幸いである。

 私は同年より「西宮古文書を読む講座」の会長となった。「賣卜先生糠俵」が古文書を親しむ端緒になればとホームページに公開した。また同時に心学道話の面白さを味わって頂きたい。

 挿絵はすべて父が描いたものである。亡き父を偲びつつ稿を終える。

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