「賣卜先生糠俵・後編」紹介第12回
第二十二話・第二十三話(読み下し文、現代語訳)
恩田満
2010.05.10
今回は、「賣卜先生糠俵・後編」の第二十二話・第二十三話をお届けします。
第4回から、サーバー容量の関係等により、原文・挿絵の写真版は省略し、読み下し文と現代語訳のみの紹介とさせていただいています。

* 前回迄同様、詳しい注釈および解説については、筆者下記ホームページ内の 「日本の古典」 の項をご参照いただきたいと思います。
(読み下し文の数字を振っている語句について、注釈を付けています)。

    http://onda.frontierseminar.com/

* 本文および注釈・解説などを引用あるいは転載なさる場合は、必ず事前に筆者の了解を得て下さい。

   なお、底本は、「心学明誠舎」 舎員の飯塚修三氏の蔵書から複写したものを使用しています。

近世文書に馴染みのない方は、現代語訳だけをお読みいただいても、心学道話の面白さを味わっていただけます。下記をクリックしてください。(編集者)
   【 現代語訳 】 第二十二話→  第二十三話→


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第二十二話

 ①上檀(じやうだん)(あら)たなる(むしろ)まうけ、数多(あまた)(をんな)(かしづ)かれ、(くは)()()ふ者あり。

翁、(たん)じて曰く、「(とら)(ぶん)有るを()()られ、③(かひこ)は糸あるを以て()らる。④(うるし)は漆あるを以て其の身を削られ、⑤(ちよ)不材(ふざい)なるを以て其の身(まつた)し。(ざい)あるものは其の材にたふれ、⑦(てん)(ねん)()へざる事のはかなさよ」

(かひこ)(かしら)を上げて曰く、「(ざい)不材(ふざい)は天なり。⑨(ほつ)する事無くして(しか)り。(ほつ)して然るものならば、(たれ)か君とならざらん、誰か奴婢(ぬひ)となるべきや。誰か富貴(ふうき)(ほつ)せざらん、誰か貧賤(ひんせん)(ほつ)すべき。()(われ)母の胎内(たいない)を出でしより、⑪人の提携(ていけい)抱負(はうふ)()ひ立つ。是(ほつ)して(しか)るものならんや。生長(せいちやう)の今に(いた)りて、昼夜(ちうや)撫育(ぶいく)、親の子を見るがごとし。(たん)()(ろく)(たまは)るは、又君のごとく(しん)のごとし」。

(おきな)の曰く、「⑬女は(おのれ)(よろこ)ぶ者の為に(かたちづく)り、()は己を()る者の為に()すといふ。汝、⑭此の()(なづ)める()。⑮(なん)(こう)()り、()()げて()退(しりぞ)かざる」

(かひこ)、⑯怫然(ふつぜん)として曰く、「⑰我()(しん)なりといへども、(なん)()(じやう)()を事とせん。⑲彼(はん)(ちゆう)(かう)()(つか)へし時は、『范中行氏(われ)()衆人(しゆうじん)を以てす。(かるがゆゑ)20(われ)(これ)(ほう)ずるに衆人(しゆうじん)を以てす』と()ひて、(あだ)(むく)いず、其の後、21()(はく)(つか)へし時は、『智伯(われ)にあふに国士(こくし)を以てす。(かるがゆゑ)(われ)(これ)(ほう)ずるに国士(こくし)(もつ)てす』と言ひて、22身に(うるし)さし、(まゆ)()り、(らい)と成り、乞食(こつじき)()け、非人(ひにん)敵討(かたきう)ちの所作事(しよさごと)23(かれ)が忠義は現銀商(げんきんあきな)ひ、算用(さんよう)()めの仕打(しう)ち也。24芝居(しばい)()きは()めもやすらん。(まこと)武士(ぶし)には()い事/\。又、25范蠡(はんれい)が身退(しりぞ)きしも、勾践(こうせん)の人となり、()をともにして、(たの)しみをともにせざる気質(きしつ)()つて()退(しりぞ)く。26(これ)()(いつ)()半季(はんき)の渡り奉公(ぼうこう)27譜代(ふだい)(しん)には無い事なり。我等小身(せうしん)なりといへども、代々(ろく)(たまは)りて、父母(ふぼ)妻子(さいし)安穏(あんをん)()らす事、誠に命の親也といふも、中々(おそ)れあり。父母の(かしら)のぎり/\から、妻子の(あし)爪先(つまさき)まで、君の恩沢(おんだく)()()みぬ。数代(すだい)高禄(かうろく)頂戴(ちやうだい)すれば、(むま)()るも道具(だうぐ)()らすも、あまた供回(ともまは)()()れるも、皆(きみ)(たまもの)也。衣食住(いしよくぢゆう)(もと)より、武具(ぶぐ)馬具(ばぐ)(はじ)めとし、(かみ)一枚(いちまい)筆かたし。(けい)(けん)(やしな)ふまで、君の賜にあらざるはなし。代々()まるゝも(はうむ)りも、皆君の恩沢(おんだく)なれば、(いさ)めて(もち)(たま)はぬとて、退(しりぞ)く身の有るべきや。28三度(さんど)(いさ)めて身退くなんどとは、29()唐人(たうじん)はいざ知らず、神国(しんこく)武士(ぶし)には()(こと)/\」。

【第二十二話 現代語訳】

(蚕棚の)上の壇に新しい敷物を設けられ、数多くの女たちにかしずかれて、桑の葉を食う者がいる。

翁は嘆いて、「虎は美しい文様があることによって射られ、蚕は生糸を生み出すことによって煮られる。漆の木は漆が採れることによってその身を削られるが、樗という木は役に立たないものであることによってその身が切られることはない。価値がある木は、そのことによって切り倒され、天寿を終えることができないのはむなしいことだ」と語った。

蚕は(昂然と)頭を上げて、「有用の材か不用の材かは天の定めによるのである。自ら望んだことではなくそうなっているのである。望んでそうなるものならば、誰が君主にならずにおられようか、また、誰が召使いになろうとするであろうか。誰が富貴を望まないだろうか、また、誰が貧賤を望むだろうか。一方で私は、母の胎内を出た時から、(回りの)人の協力や期待を受けて成長した。これは望んでそうなるものなのであろうか。成長した今になって思えば、朝な夕なに(多くの人々から)受けた慈しみと養育は、親が子どもを見るようなものであった。朝夕の福徳をいただくのは、時には君主のように時には臣下のようであった」と語った。

翁は、「女は自分の美貌を喜んでくれる人のために顔や身なりを整え、士は自分を理解してくれる人のために命を捧げるという。おまえは、この言葉にひたむきな思いを寄せているか。どうして立派な仕事を成し遂げ、世間の名声を得てから身を退こうとしないのか」と尋ねた。

蚕は怒りを顔にあらわして、「私は取るに足りない臣下であると言っても、どうして予譲の忠義話(のようなもの)を問題にしようか。予譲が范氏や中行氏に仕えた時は、『范氏や中行氏は私が会う際に凡人並の扱いで接した。それ故に私は彼らに対しては凡人並みの態度で接したのです』と言って、(予譲は仕えた二人の)仇を討つことはなかった。その後、知伯に仕えた時は、『知伯は私に会う際に国士として処遇してくれた。それ故に私は彼の恩義に国士として報いるのです』と言って、全身に漆を塗って、眉毛を抜き去り、癩病に掛かった姿に見せ、乞食に化け、非人の姿に身を変えての芝居がかった行動などは、(私から見れば)予譲の忠義は、目先の利益を求める現銀商い(のようなもの)で、計算尽くの行為である。芝居好きはその忠義を誉めもするだろうが、真実の武士の世界ではまったくあり得ないことである。范蠡が身を引いたことにしても、勾践の生来の人柄を見て、苦難はともにしても、楽しみをともにできない気性だと知って彼のもとを去ったのである。予譲や范蠡など(忠義)は一季や半季の渡り奉公と同じようなものだ。代々同じ主君に仕える家臣には起こり得ないことである。私などは身分が低いものではあるが、代々俸禄をいただいて、父母や妻子が安穏に暮らしていけることは、(主君のおかげであり)まことに、(主君を)命の親というのも、むしろ恐れ多いほどのものである。父母の頭の先から、妻子の足のつま先まで、主君の恩恵が染みこんでいる。数代にわたって俸禄をいただいたので、馬に乗るのも槍を振りまわすのも、多くの供の人々を引き連れるのも、すべてみな主君のおかげである。衣食住はもちろんのこと、武具や馬具を始めとして紙一枚筆一本、鶏や犬を飼うに至るまで、主君の恩恵によらないものはない。代々にわたって(子孫の)誕生も(祖先の)葬祭も主君の恩恵によるものであるから、主君を諫めても聞き入れて下さらないからといって、身を退くことなどあってよいものか。三度諫めて(主君が聞き入れないときはいさぎよく)辞職するなどということは、外国人(=中国人)ならともかくとして、神国である日本の武士にはまったくあり得ないことだ」と答えたのだった。

(第二十三話・現代語訳へ→)

第二十三話

 翁、①蜜蜂(みつばち)(いそが)がしげに飛びかふを見て、問うて曰く、「百花(ひやくくわ)()り得て(みつ)となし、辛苦(しんく)して、(たれ)が為に(あま)からしむる」

蜜蜂()(かへ)つて曰く、「③天地万物(ばんぶつ)を生じて、()が為にいふ事あらんや。④われも一箇(いつこ)小天地(せうてんち)。⑤なんぞ誰が為と答ふべき。人又小天地にあらざるや。⑥(しか)るに翁は(たがや)す事を()らず、(つま)()る事を知らず。一物(いちぶつ)()()さずして、人の辛苦(しんく)(つひ)やすのみなり。⑦奈良(なら)(ちや)一飯(いつぱん)にても、何ケ国の人の辛苦ぞ。まづ(こめ)は、(いづ)()の人の辛苦にて出来(でき)し物ぞ。(たきぎ)は何国の山より()て、いかなる人の辛苦成るぞ。(しほ)は何国の浦人(うらびと)の辛苦にや有りけんと、()ひもて()けば、朝夕(あさゆふ)に何が国の人の辛苦を(つひ)やす事ぞや」。

翁、赤面(せきめん)して曰く、「⑧()づらくは、我一物(いちぶつ)()()す事()して、()くまで()らひ、(あたた)かに()(いつ)(きよ)す。⑩是禽獣(きんじう)(ちか)しといはん()

蜂の曰く、「翁、⑪さのみ(うれ)ふる事なかれ。⑫四民(しみん)の外に遊べども売卜(ばいぼく)を以て(げふ)とせずや。(すき)(くわ)を取らずといへども、銘々(めいめい)家業(かげふ)(おこた)らずんば、(すなは)(これ)(たがや)すなり。⑭(さん)(ぴつ)にて耕すもあり(のこぎり)(かんな)にて耕すもあり、皆耕すなり。もし其の(たがや)すに(おこた)るときは、⑮五穀(ごこく)(みの)らず(こん)(きゆう)す。⑯常体(つねてい)の人困窮すれば、思はず父母への孝もかけ、一家中朋友(ほういう)へも、心の(ほか)なる無礼(ぶれい)出来(でき)る。他人(たにん)にも()(どく)ながら、不届(ふとど)きになる事もあるものぢや。其の又(はなは)だしき(もの)は、⑰孟子(まうし)所謂(いはゆる)『⑱放辟(はうへき)邪侈(じやし)()ずといふこと無きに至る』。()(かく)家業(かげふ)(おこた)らざれ。もしまた家業に(おこた)らず、⑲(わたくし)なくての困窮ならば、是ぞ天なり。なんぞ心を(くる)しめん。翁も我も小天地(せうてんち)。⑳人をもつて天にかたざれ、人を以て天に負けざれ」。

翁の曰く、「汝が(こと)(はなは)だよし。()りながら、21()ふ事は(やす)く、(おこな)ふ事は(かた)きものなり。22人の患難(くわんなん)(うれ)ふるを見ては、『(これ)何ぞ(うれ)へとするに()らんや』と()ひ、23人の困窮(こんきゆう)(うれ)ふるを見ては、『是なんぞ(うれ)へとするに()らんや』と()ひて、24(ひと)(こぶし)()りげなる人も、自身(じしん)もし其の患難(くわんなん)にあふ()困窮するに至つては、25(まゆ)をひそめ(いろ)(うしな)ひ、うろたゆるものなり。26汝も我もしやべり也。(つつし)まずんばあるべからず。27論語に(のたま)ふ如く、『28(こと)(おそ)くして、(おこなひ)()からん事を欲すべし』。又(のたま)ふ、『29(いにしえ)への一言(ひとこと)(いだ)さざるは()(およ)ばざるを()じてなり』」。

【第二十三話 現代語訳】

 翁は、たくさんの蜜蜂が騒がしく飛び交っているのを見て、「多くの花から花の蜜を採り蜂蜜を作っているが、苦労して誰のために甘い蜜にしているのだ」と言った。

 蜜蜂は、振り返って、「天と地が万物を生み出しても、誰か(一人)のためということがあろうか、すべての人のためである。私自身も一つの小なる天と地である。どうして誰か(一人)のためと答えることができようか。人もまた小天地ではないのか。それなのに翁は田畑を耕すこともできず、妻は機を織ることもできない。何も産み出すことをしないで、人の苦労を費やすばかりである。たとえ奈良茶飯の一杯でも、どれだけ多くの国々の人たちの苦労の結果なのだ。まず米は、どの国の人の苦労で出来たものか。薪はどの国の山から出て、どんな人の苦労で薪になったのだ。塩は何国の海辺の人の苦労であったのだろうかと、言い続けていくと、朝晩の食事にどんなに多くの国の人の苦労が費やされていることか」と言った。

 翁は、赤面して、「恥ずかしく思うことは、私は何一つ産み出すことなくして、飽きるまで食い、暖かなものを着て気楽に暮らしている。これは鳥や獣に近い生き方というのだろうか」と尋ねた。

 蜂は、「翁よ、それほど気にやむ必要はない。(翁は)士農工商の内には入らないが、占いで生計を立てているではないか。鋤や鍬を手に取ることをしなくても、めいめいの家業を怠らなければ、それはすなわち働いていることなのだ。(世の中には)算術や習字で生計を立てる人もいるし、鋸や鉋を使って仕事する人もいるが、これらはみな働いているということなのだ。もし、その働くということを怠ったときは、米・麦・粟・黍・豆などの五穀が実らず困窮することになる。一般の人は困窮すると、無意識のうちに父母への孝心も欠け、家族友人たちに対しても、思いも寄らない無礼な態度も出て来る。他人に対しても気の毒ながら、不行き届きになることもあるのだ。その甚だしい者は、孟子の言う『わがまま・ひがみ、よこしま・ぜいたくなどをやりたい放題の状態になってしまう』(のだ)」。とにかく家業を怠ってはならない。もしもまた個人的な欲望を持たない結果の困窮ならば、それは天が定めた運命で受け入れるより仕方のないことだ。どうして心を苦しめる必要があろうか。翁も私も小天地だ。人間として天に勝ってはならないが、人間として天に負けてもならない」と答えたのだった。

 翁は、「そなたはたいへんいいことを言った。しかし、口で言うのはたやすいが、それを実行するのは難しいものである。人が患難して憂えているのを見ては、「この程度のことはどうして憂えとする必要があろうか」と言って、ちょっとした自負がありそうな人も、自分がもしその患難にあったり、困窮したりする場合には、顔をしかめて真っ青になり、取り乱すものである。そなたも私もおしゃべりである。慎まなければならない。『論語』でも次のように、『口を重くして、行いを敏捷にすることを願うべきである』と(孔子が)おっしゃっている。さらに(孔子は)、『古人が言葉を軽々しく出さなかったのは、身の行いが言葉に及ばないのを恥じてのことである』ともおっしゃっている」と語ったのであった。

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