「賣卜先生糠俵・後編」紹介第6回
第十話・第十一話(読み下し文、現代語訳)
恩田満
2009.10.15
今回は、「賣卜先生糠俵・後編」の第十話・第十一話をお届けします。
第4回から、サーバー容量の関係等により、原文・挿絵の写真版は省略し、読み下し文と現代語訳のみの紹介とさせていただいています。

* 前回迄同様、詳しい注釈および解説については、筆者下記ホームページ内の 「日本の古典」 の項をご参照いただきたいと思います。
(読み下し文の数字を振っている語句について、注釈を付けています)。

    http://onda.frontierseminar.com/

* 本文および注釈・解説などを引用あるいは転載なさる場合は、必ず事前に筆者の了解を得て下さい。

   なお、底本は、「心学明誠舎」 舎員の飯塚修三氏の蔵書から複写したものを使用しています。

近世文書に馴染みのない方は、現代語訳だけをお読みいただいても、心学道話の面白さを味わっていただけます。下記をクリックしてください。(編集者)
   【 現代語訳 】 第十話→  第十一話→


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第十話

 拙者(せつしや)一人(いちにん)の@(せがれ)(はな)れ、わすれんとするに(わす)るゝまなし。A如何(いかん)して(わす)るべき。御示(おしめ)し給はるべし」

(おきな)(いは)く、「B子故(こゆえ)君父(くんぷ)(わす)れ給ふな。父母(ふぼ)(ため)妻子(さいし)(わす)るゝは孝子(かうし)のつね、(きみ)のために父母(ふぼ)を忘るゝは、忠臣(ちゆうしん)(つね)なれども、C太平(たいへい)御代(みよ)には(あらは)れず。(ちか)くはD四十七忠、E君の為に妻子(さいし)を忘れ父母をも(わす)る、()い手本なり。遠くは戦国(せんごく)の書を見て知るべし。(さて)また孝は、F父母の為に天下を忘るゝ大舜(だいしゆん)を初めとし、妻子をわすれ、其の身を忘れし孝子(たち)和漢(わかん)ともに珍しからず。爰に並ぶ咄にはあらざれども、翁が旧里(きうり)何某(なにがし)とて、本は所で(ゆび)折りの家なりしが、G盛衰(せいすい)は習ひとて、H今はやうやうI小女(こめ)()(ひと)りを遣ひ、J朝夕の(けぶり)細々(ほそぼそ)(くら)しぬ。娘あり。名は(とよ)。十二歳の時、K母()みて()(しよく)す。(とよ)寝食(しんしよく)を忘れ、昼夜(ちうや)母の(そば)(はな)れず。そのL介抱(かいはう)大人(おとな)()づかし。夜は()くるも(わす)れ、()()で足をさする。()()、母の曰く、『我、不食は持病(ぢびやう)なり。M二、三日()本復(ほんぶく)せん。夜も更けて(ねむ)たからん。(やす)めよかし。朝は又早々()きて、蜜柑(みかん)を一つ調(ととの)へよ。蜜柑の()少しあらば、明日(あす)は食事も(すす)むべし。N()りながら、いまだ蜜柑は色づかじ。O売買(ばいばい)にはあるまじき。P如何して求め()ん』とQ辛気(しんき)げにいひつゝ()入りぬ。(とよ)はR跡先(あとさき)のふまへもなく、心覚えの蜜柑(みかん)(ばた)、S十町余も有る所へ、(こは)(さむ)さも打ち忘れ、21ほの/゛\明けにたどり付き、三つ四つ取つて(ふところ)にす。小屋の内より番人(ばんにん)見付け、『22(みつ)ぎも(いま)()まざるに、人の蜜柑に手を掛くる盗人(ぬすびと)よ。23所の法に(おこな)はん』と、()くも()ぶるも聞き入れず、(なさ)けなく引き立て()く。24(はた)(ぬし)何某(なにがし)は、25豊が容儀(ようぎ)(いや)しからず、()(わけ)健気(けなげ)(かん)じ、さま/゛\(いたは)り、(みづか)親元(おやもと)(おく)り届けぬ。其の蜜柑にて食もすゝみ、26日あらずして全快(ぜんくわい)し、母子(ぼし)ともに今にあり。其の後、翁問うて曰く、『(なんぢ)、蜜柑を(ぬす)みし事、(おや)の為の盗みは、盗みも孝行なりと思ひ、(ぬす)みたる()』豊、(なみだ)ぐみて曰く、『其の時は、(かう)といふ事も、(たう)といふ事も(わす)れ、(ただ)蜜柑をほしき(ばかり)なりし』と(こた)へぬ。(これ)()(はは)の為に、其の身を忘れしものといはん()

【第十話 現代語訳】

 (ある人が)「拙者は、一人の息子に先立たれ、忘れようとするが忘れる時がない。どのようにして忘れればいいでしょうか。お考えをお示しいただきたい」(と尋ねたところ)、

 翁は、「子どもを愛するが故に主君や父親をお忘れなさるな。父母のために妻子のことも忘れるというのは、孝子の常であり、主君のために父母のことを忘れるというのは、忠臣の常であるが、この太平の御代にはそうした人物は現れない。近い時代は四十七士の忠義であり、主君のために妻子や父母のことまでも忘れた忠義のよい見本である。遠い時代は戦国の書を見て学びなさい。それからまた、孝は、父母のために天下を捨てた聖帝の舜を初めとして、妻子を忘れ我が身を忘れた孝子たちの例は、日本でも中国でも珍しいことではない。(なお)ここに並べる話ではないが、わが郷里に何某といって、昔は当地で指折りの資産家がいた。だが、隆盛と衰退が交互に訪れるのはこの世の常であって、今はだんだん落ちぶれて小娘を一人使い、朝夕の炊事の煙も細々と上がる程度で細々と暮らしていた。(その者には)娘がいて、名は豊といった。(豊が)十二歳の時、母親が病気になって食事ができなくなった。豊は寝食も忘れ昼夜にわたって母の側を離れることがなかった。その介抱については大人が顔負けするほどしっかりしていた。(豊は)夜がふけるのも忘れて母の背中をなで足をさするのだった。ある夜のこと、母親が『私がものを食べられなくなるのは、時々起こる病気だ。二、三日たったら全快するだろう。夜もふけて眠いだろう。休みなさい。朝また早く起きて、蜜柑を一つ用意しなさい。蜜柑の酢が少しあれば、明日は食事も進むだろう。しかし、まだ蜜柑は色づいていないだろう。売買されていることはないだろう。どうすれば手に入れることができるだろうか』と気が重そうに言いながら寝入ってしまった。豊は後先のことについて配慮することもなく、心の内に覚えのある蜜柑畑で、十町余りも離れた所へ寒さや怖さもすっかり忘れて、ほんのりと夜が明ける頃にたどり着いた。(そして)蜜柑を三つ、四つ懐に入れたところ、小屋の中から番人が見とがめて、『まだ貢ぎ物として献上することも済まないのに、人の蜜柑に手を掛ける盗人よ。この土地の定めによって処することにしよう』と、豊が泣いても詫びても聞き入れず、情け容赦なく引き立てていった。蜜柑畑の持ち主の何とかいう人は、豊の礼儀作法にかなった身のこなしに品位があって、その言い訳が健気であると感じ、さまざまといたわり、自ら親元に送り届けた。(母親は)その蜜柑で食も進むようになり、日数が経たないうちに全快し、母子ともに現在も健在である。その後、私が『そなたが蜜柑を盗んだことは、親のための盗みは、盗みであっても孝行だと思って盗んだのか』と尋ねたところ、(すると)豊は涙ぐんで、『その時は、孝行ということも、盗みを犯すということも忘れて、ただ蜜柑がほしかっただけなのです』と答えた。これらも母親のために、その身を忘れた例と言っていいだろうか」と答えた。

 
(第十一話・現代語訳へ→)

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第十一話

 拙者(せつしや)近比(ちかごろ)(ただ)もの忘れをいたし、@忘れじと指を(くく)れば、()の指ともに忘るゝなり。Aもし(なん)ぞの(とがめ)にてはあるまじきや。御(かんが)へ給はるべし」

翁の曰く、「B(かへる)蚯蚓(みみず)を見て、(へび)有る事を忘れ、蛇は蛙を見て、(しし)ある事を忘れ、猪は蛇を見て、猟人(かりうど)ある事を忘れ、猟人(かりうど)は猪を見て、山の(けは)しきを忘る。是等(これら)は其の()(やしな)はんとて、其の身を忘るゝものなり。(おのれ)(しよく)にもあらねば、身を養はんとにもあらで、日の暮るゝもわすれて(なが)れに立ち、C(つみ)(むく)いも、D(ひえ)疝気(せんき)(わす)()て、(うを)()る人もあり。人の魚釣るをうつかり見て、丁稚(でつち)はE使(つか)ひの口上(こうじやう)を忘る。其の使ひの口上を忘れたる丁稚を、性根(しやうね)なしと(しか)手代(てだい)も、F在所(ざいしよ)麦飯(むぎめし)雑炊(ざふすい)の事を忘れて、此の米は(あじ)ないの、古くさいの、けふも又Gひんとこなの(うるめ)()などとつぶやく。其のつぶやくを聞きて、嗚呼(ああ)何所(どこ)の手代も同じ事。田舎(いなか)の暮らしの(まづ)しき事は忘れ果て、H青梅(あをめ)(じま)は肩がさすの、I小倉(こくら)の帯は(こし)(おも)いの、J(なん)()のといざこざいふ。扠々(さてさて)物わすれする者どもかなと、笑止(せうし)がる旦那(だんな)どのも、K先祖(せんぞ)辛苦艱難(しんくかんなん)御蔭(おかげ)は忘れて、自身(じしん)()(よく)には、家の衰微(すいび)するも忘れ、L妻子にまよひては、親兄弟の事をも忘る。M天恩国恩父母の恩はいふも(さら)なり。人に恩を()たる事は、忘るまじき事なるに、Nエテは忘れて退()けるものなり。O忘れても苦しからぬは、人に恩を著せたる事なり。其の忘れてもくるしからぬ、恩に著せたる事は、いつまでも忘れず、折節は()ひ出して、恩に著せる人もあり。心が見えて浅まし。又(ことわざ)に、P色は思案(しあん)の外なりといふ。是も忘れて苦しからぬ事なれ共、少々の不義(ふぎ)(あやま)ちのある時も、色は思案の外なりと道理を付け、自身(じしん)にも少しは(ゆる)す人もあり。是等はQ(わす)るべきを忘れずして、忘るまじきを忘るゝ人なり。宿替(やどが)へに、女房を忘れたと聞きては、R手を打つて笑ひ、(ふんどし)を忘れたるを忘れて、S(しり)からげしたるを見ては、21(ゆび)ざしして笑ふ。其の笑ふ人の中にも、22一朝の(いか)りに其の身を忘るゝ人もあらん。必ず其の身を忘れ給ふな。23不忠不孝非義(ひぎ)非道(ひだう)に陥るは、24皆我が身を忘れたる人にあらずや」

(かく)の曰く、「翁、(さき)には(わす)るべきを()き、爰には忘るべからざるを()ぶ。万事(ばんじ)忘れて()ならんか」

曰く、「不可(ふか)(なり)

25忘るべきをわすれ、忘るべからざるを忘れずしてかならん()

いはく、「26未可(びか)なり。27天道は()ること()うして()ざる事なし。28(げう)天下(てんか)を忘れて天下をたもてり。29孝子(かうし)は孝を忘れて孝に(あた)り、30忠臣は忠を忘れて忠に合ふ。(たと)へば31()()(もの)は、()(ごと)に心を入れざれども規矩(きく)(はな)れず。32よく(うた)ふものは、節毎(ふしごと)に気を()めざれども拍子(ひやうし)に合ふ。33魚は江湖(かうこ)(あひ)忘れ、人は道に相忘る」

 

【第十一話 現代語訳】

 (ある人が)「拙者は、近ごろ物忘れがひどく、忘れまいとして指にこよりを巻き付ければ、その指も一緒に忘れてしまう始末です。もしかして何かの罰や祟りではないでしょうか。お考えをお示しいただきたい」(と尋ねたところ)、

 翁は、「蛙は蚯蚓を(捕らえようとして)見つめて、蛇がいることを忘れ、蛇は蛙を(捕らえようとして)見つめて、猪がいることを忘れ、猪は蛇を(捕らえようとして)見つめて、狩人がいることを忘れ、狩人は猪を(捕らえようとして)見つめて、山の険しいことを忘れてしまっている。これらはその身を養おうとして、わが身の(危険を)忘れてしまっている例である。(次の例は)自分の職分ではないので、わが身を養うというのでもなく、日が暮れるのも忘れて(川の)流れの中に立ち、殺生の罪もその報いも、寒さも疝気の痛みもすっかり忘れて、魚を釣る人もある。(その)魚を釣る人に見とれて心を引かれ、丁稚は使いの口上を忘れてしまう。その使いの口上を忘れた丁稚を性根なしと叱る手代も、実家で食べていた麦飯の雑炊のことを忘れて、この米は味がないの、古くさいの、今日もまた反り返ったうるめ鰯かなどと不平を言う。その(手代が)つぶやくのを聞いて、(旦那が)ああ、どこの手代も同じで、(連中は)田舎で暮らしていた貧しかった(頃の)ことはすっかり忘れて、青梅縞柄の着物は肩が凝るだの、小倉織りで作られた帯は腰が重くなるだの、あれやこれや文句を言う。さてさて、物忘れのひどい連中だな、とおかしがる旦那衆もいる。(その旦那衆も)先祖の辛さや苦しみあるいは悩みや苦労などのお陰で現在があることを忘れて、自分自身の好みのためには、家が衰微することも忘れて、妻や子どものことに心を奪われて、親や兄弟のことを忘れている。天子からのお恵み・将軍からのご恩・父母から受けたご恩などは言うまでもなく忘れてしまっている。人から恩を受けたことは、忘れてはならないことなのに、ややもすると忘れてしまうものである。忘れても差し支えないのは、人に恩を着せたことことである。その忘れても差し支えない恩に着せたことはいつまでも忘れないで、その時々に思い出して恩に着せる人もいる。(それは)下心が見えて浅ましい。また、諺に、『恋愛沙汰は他のことと違って常識では判断できないことが多い』などとあるが、色事なども忘れて構わないことであるが、少々の不義や過ちがあった時も、情事は分別を越えやすいものだ、などと理屈を付けて自分自身でも少しは許してしまう人もいる。」と答えた。

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