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石田梅岩史跡巡り
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山田節子.
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平成22530日(日)、心学明誠舎の有志で企画した、大阪にある石田梅岩や心学明誠舎に関係する史跡巡りに出かけた。とても良いツアーだったので、報告したい。

 

 長堀通り南東角に午後2時に集合したのは総勢5名。すでに暑さでまいりそうな日だった。
 心学明誠舎が井上宗甫によって飾屋町(心斎橋1丁目あたり)の自宅を開放して心学を学ぶ場としたのち、寛政4年(1792)東区金田町(博労町1丁目)に移り、ついで明治14年新築して移ったのが、「心学明誠舎跡」の碑がある現在の島之内1丁目である。以来昭和13年、電車道にあたるため静寂を求めて東区竹山町に移るまでここにあった。今は、路面電車も地下鉄となり道路向かいに南郵便局もでき、町の様子はすっかり変わっているだろうけれど、石碑が駐車場の端にひっそりとたたずんでいることが、昔、庶民が誇りを持って学んだ息吹を感じるようであった。

 石田梅岩、手島堵庵、岡本孝道のお墓がある大蓮寺に向かう。日本橋あたりは大変な人ごみであったのに、交差点を曲がると途端に寺町の静寂で、凛とした空気が感じ

 

られる。大蓮寺は天王寺高校発祥の地にあり、門をくぐると大きな柏葉紫陽花が迎えてくれた。3人の師に石門心学を開いていただき、大変な努力のおかげで今現在に至っていることに感謝をし、皆で手を合わせた。



 次は、堺市大小路駅近くにある菅原神社に向かう。天王寺から出る阪堺線に乗ると

 

、まるで30年程さかのぼった様な錯覚におちいる。一駅一駅確かめるようにしながら南へ進み大和川を渡る。堺市に入ると間もなく大小路駅だ。菅原神社にある石田梅岩坐像は、文化14年(1817)、同市櫛屋町大道西側に石門心学の塾「庸行舎」が開講したことを記念して、府立農業研究所主任教授藤田正雄氏が尽力し、昭和14年岩田千虎作により元府立農学校経済農場の北門に建立された物である。想像していたより大きな像であったが、優しい目が印象的だった。

帰途は南海堺東駅からということになり広い歩道を歩いていると、堺市役所の最上階から仁徳天皇陵を見る事ができると聞くと、俄然行きたくなった。地元にお住まいの方も初めてということだったが、大阪のビル群まで見えて案外お勧めの眺めが堪能できた。

 石田梅岩の功績を改めて学び、気持のよい一日をすごさせていただいたことに感謝したい。

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